新春特別インタビュー 声優 木村 昴さん×かつしか
葛飾は仲間がいるまち 帰る場所
木村 昴(きむら すばる)さん
アトミックモンキー所属。
1990年6月29日にドイツで生まれ、7歳のときに葛飾区へ。14歳のときにアニメ『ドラえもん』の剛田武(ジャイアン)役で声優デビュー。『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-Rhyme Anima』の山田一郎役や『呪術廻戦』の東堂葵役など、声優として多数のアニメや映画の吹き替えに出演する他、現在放送中の子ども向けテレビ番組『おはスタ』のメインMCを務めるなど、タレントや俳優、歌手として多方面で活躍している。
生まれはドイツ 育ちは新小岩のやんちゃな子
ドイツで生まれ、小学校に入学するタイミングで母方の祖父母が住んでいた新小岩に移住しました。まちも人も、ドイツとは全く違う雰囲気だなという印象でしたね。生まれたまちは大聖堂や歴史的な建物が多く、文化的な雰囲気でしたが、新小岩はそういう雰囲気ではなくて、良い意味で親しみやすいなと感じました。
日本に来たばかりの頃、日本語はほとんど話せなかったのですが、学校にはすぐになじむことができました。父がドイツ人なので、体が大きく顔つきも周りと違っていたからか、同級生が興味を持ってくれて。言葉もすぐに覚え、同級生とも自然と仲良くなっていった感じですね。子どもの頃は、友達と近所の駄菓子屋とか公園に行って遊んでいました。親水公園でザリガニ釣りもしましたし、新小岩公園にもよく行きました。当時、自分の家にはテレビやゲームがなかったので、友達の家で録画してもらったアニメをみんなで観たり、ゲームをしたりして遊んでいました。やんちゃなこともたくさんしましたけど、毎日楽しかったです。
1番になるために休まず通ったレッスン
芸能の道に入ったきっかけは、小学1年生のときのことです。家のポストに劇団「日本児童」の団員募集のチラシが入っていて、レッスン場所が小岩だったこともあり、母が「日本語の勉強にもなれば」と入団させてくれました。習い事感覚で、土日のレッスンに通っていました。毎週、歌やダンス、演技や楽器のレッスンを受けて、芸事に関わる基礎を学びました。子どもの頃からお調子者で目立ちたがり屋の性格だったので、やるからには1番になりたいという気持ちで取り組んでいましたね。できなかったことができるようになることが快感でしたし、先生に褒められるとうれしくて、のめり込んでいきました。でも小学生だったので、土日のレッスンを休みたいと思うこともありましたよ。友達と遊びたいときもありました。そんなとき母は「他の人も休んでいるかもしれないし、休むのは簡単だけど、1番になりたいなら行った方がいいんじゃない。行けば楽しいよ」と言ってくれました。行くのが嫌で泣いたときもありましたけど、行ったらやっぱり楽しくて。結局レッスンには1回も休まず通いました。自分で自分を褒めたいです。そのおかげで実力もついたんじゃないかなと思います。
転機は『ドラえもん』の声優オーディション
小学4年生のときにテレビ番組『おはスタ』のレギュラーになったり、2002年にミュージカル『アニー』に出演したりと、子役として活動しているときに『ドラえもん』の新しい声優のオーディションがあることを知りました。自分も受けられることが分かり、オーディションに参加したのが全ての始まりでした。当時は、声優の仕事には全く興味がなくて、歌とダンスができるミュージカル俳優になりたいなと思っていました。声優の仕事についてもあまりよく分かってなくて。実は、オーディションを受けた動機も、中学校の同級生に「ドラえもんのオーディション受ける」って言ったら盛り上がるかなと思ったからなんです。オーディションを受けることが目的だったので、ジャイアン役の合格の結果が出たときは「決まっちゃった。どうしよう」と思いましたね。でも、決まったからにはやるしかないと覚悟を決めました。
自信がなかった十数年
救ってくれたのは師匠のひとこと
14歳で声優の道に進んでから、初めの10年くらいは本当に大変で、周りに付いていくのが精一杯でした。プロの世界なので、できて当たり前、うまくて当然。児童劇団の頃とは違って褒めてもらえることもなく、厳しい言葉もたくさん受けました。ずっと自信がなく、ジャイアン役に自分が選ばれたことは間違いだったんじゃないかと思うこともありました。そこから自信を持てるようになったのは、師匠のひとことがきっかけでした。僕の師匠は『ドラえもん』で共演しているスネ夫役の関 智一(せき ともかず)さんです。関さんは、言葉で教えるというより行動でお手本を見せてくれる方です。関さんを師匠と呼び、師匠の背中を追いかけるようにして、困難を乗り越えてきました。
そんな中で25歳くらいのとき、関さんが座長を務める劇団の公演に出演したのですが、本番当日に突然「良い役者になったな。よく頑張ったな」と言ってくれたんです。その場では照れ隠しの冗談で返してしまいましたが、プロの世界に入ってから大人に褒められたのが初めてで本当にうれしかったです。やっと自信を持つことができ、これからも頑張っていこうと思える大きなきっかけになりました。
2025年は日本で1番テレビに出た男に
昨年はありがたいことに多くの仕事をいただき、やりたいことがたくさんできました。特に、ドラマの主演を務めるなど、世の中に残る作品作りを頑張る1年でした。ただ、まだまだやれることはあるなと思っています。2025年にチャレンジしたいことはいっぱいありますが「日本で1番テレビに出た男」をめざそうと思います。
日本一めざします!
木村昴さんの葛飾の銭湯の思い出
小学校低学年の頃、同級生と公園で遊んで泥んこまみれになると、公園の近所にある祖父母の家に同級生を連れて行き、みんなで風呂に入ることもありました。そうやって仲良くなった思い出があります。
当時は銭湯がそこら中にあったので、よく祖父に連れて行ってもらったり、同級生とも一緒に行ったりしていました。中学生になっても大人になってからも、同級生で集まったら最後には銭湯に行くのが定番になっています。
今は新小岩に銭湯が少なくなってしまって寂しい気持ちもあります。そんな中、先日会った同級生から、銭湯の店主として頑張っているという話を聞いて、本当にうれしく思いました。
小・中学校の同級生 加島優作さん(東立石・喜久の湯2代目店主)
昴さんとは、小学生の頃に友達になりました。体が大きく、当時から目立つ存在でした。小学5・6年生の頃、昴さんが考えたダンスを一緒に踊って遊んでいたことを覚えています。
今はたくさんのテレビなどに出演して、活躍していることをとてもうれしく思います。先日、10年ぶりに地元の集まりで昴さんと再会しました。すごいことをたくさん成し遂げている昴さんですが、根の真っすぐなところは一緒に遊んでいた子どもの頃から変わらないなと感じました。これからも応援しています!
区民の皆さんへ
葛飾区の皆さん、お元気ですか?
いつも応援ありがとうございます。
葛飾は家族や仲間がいるまちで、帰る場所だと思っています。
この取材を機に新小岩の実家にも帰りたいなと思いました。
葛飾で見かけたら、気軽に声をかけてください!
インタビューの様子や区民の皆さんへのメッセージを動画でご覧になれます
1名様 木村昴さん直筆サイン色紙をプレゼント
【対象】 区内在住の方
【応募期間】 1月20日(月曜日)まで
【担当課】 広報課 電話03-5654-8116
このページに関するお問い合わせ
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